統一教会に一体何が起こっているのか? 著者は、統一教会分裂の現象を長年に亘って観察し、歴史的研究方法によって研究してきた。この本は、膨大な統一教会の一次資料に基づき、統一教会分裂の原因から過程、結果を詳細に記述し、統一教会の未来を見ている。
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3) 文國進の登場と分裂の可視化-2<ヨイド訴訟の背景にあった文國進の突発行動>
2006年2月頃、文國進はそれまで郭錠煥と文顯進が推進してきた統一教会のヨイド聖地のPark1事業に異議を申し立てることによって葛藤を公にした。正常な手続きと創教者の決定によって文顯進が主導してきたヨイド聖地開発事業は、1988年11月に競売によって大韓総合金融に所有権が代わる直前であり、1988年12月に統一グループが破綻してヨイド聖地は空中分解してしまう境遇に処するなど[1]の紆余曲折を経て、2005年4月28日に[2] Y22(代表理事:ポール・ロジャーズ)を設立することによって本格的な開発事業が始まった。
そうする中で「ヨイド開発事業に干渉するな」という創教者の指示にも関わらず、2006年2月9日に文國進はY22の代表理事であるポール・ロジャーズを訪ね、ヨイド聖地開発について争い、暴力沙汰直前にまで至る事態を招いたという[3]。彼がポール・ロジャーズを訪ねた理由は、ヨイドパークワン事業からポール・ロジャーズを排除する為だった。ポール・ロジャーズが郭錠煥側の人と判断したからである。この事件直後の2006年2月12日に創教者は、郭錠煥をヨイドパークワン事業から手を切らせ、その後任に文國進を指名した[4]。
それまで、パークワン事業の過程は全て創教者に報告された内容であり、地上権設定などはヨイド聖地に世界宣教本部を含む複合商業空間のビルを立てる為の不可避的な措置であるという事実を創教者は勿論、財団理事長である文國進と関連者は全て知っていた[5]。創教者が郭錠煥をパークワン事業から排除した理由も、間もなく明らかにされた[6]。2006年初めからヨイド問題で揉めている状況で創教者は文顯進を2006年4月1日に統一教会の理事長に就任したのである[7]。統一教会の全資産がUCIを中心に結集し、南北統一と天一国創建に効率的に投入してこそ2013年基元節までに創教者の大きな念願と目標を成し遂げることができるという判断から、かかる決定を下したのであろう。
Y22代表理事のポール・ロジャーズは文國進の突発行動に抗議し、業務を中断して英国に帰ってしまった。彼はそれまでヨイド聖地開発推進過程であった全ての事例を長文の手紙に書いて文國進と郭錠煥に送り付けた[8]。この手紙が創教者にも報告されたのか、事態が深刻なことになっていることを知った創教者は、郭錠煥、文國進、ポール・ロジャーズ、文顯進などの当事者を米国に呼び出して内幕を聞き、結局、全ての真実を知った創教者は、文國進が嘘をついていた事実を知って激怒したという[9]。
Y22をめぐる雑音は結局、弟の文國進が兄の文顯進の公的責任を妨害する為に起こした騒動であった。2006年4月23日に創教者は、家族会議を開いて交通整理をした。2006年4月24日にY22の株式が創教者の指示でUCIに贈与され[10]、パークワン事業は文國進の代わりに文顯進が代表をするUCIと郭錠煥[11]が責任を負うことで決定された[12]。
その後、郭錠煥は創教者の指示を受けてヨイド聖地開発業務を完璧に整理して創教者に報告し、許可を得て統一教会維持財団とY22の間で2006年5月30日に最終契約を締結し、7月11日に紆余曲折を経て開発許可を受ける[13]など、自らの役割を果たしたものと見られる。2007年2月7日にパークワン事業最終契約上の地料約定を明示する地上権更正登記が完了するなど、財団理事長の文國進が協力しない中でも全ての事業は順調に進められていたようであった。しかし財団は2010年10月29日に地上権登記抹消訴訟を提起することによって、パークワン事業は荒波に巻き込まれるようになった。工事は中断し、訴訟を提起した財団は勿論、Y22の損失は並大抵ではなかった。当時多くのマスコミはこの訴訟が及ぼす影響の度合いを予告していた。
結局、訴訟は長期化した。しかし2011年7月20日の第1審で財団敗訴、2012年8月1日の第2審でも財団敗訴となり、2014年7月10日の最高裁判所第3部(主審:朴ボヨン)は、パークワン敷地の所有主である統一教会財団が「パークワン敷地の地上権使用契約は無効」として施行会社Y22プロジェクト金融投資を相手取って行った地上権設定登記抹消登記などの請求訴訟の上告審で原告敗訴と判決した原審を確定した[14]。両者が使った訴訟費用は天文学的であった。しかし、財団は訴訟において再び敗訴し、統一教会全体に及ぼした弊害は莫大であった。統一教会が弁償すべき損害賠償額だけでも最低3,000億ウォン以上と見るマスコミもあった。原告である統一教会が訴訟に勝つ為に投入した訴訟費用だけでも数百億ウォンは超えるという[15]。統一教会のイメージが地に落ちたのは、お金に換算することができない。
[1]「銀行に借金が沢山ありましたが、93年度から5年間、絨毯爆撃されてからは、どの第1金融圏でも融資を受けたものを延長してくれませんでした。そうして見ると、例えば500億を借りたなら安い利子では、第1金融圏で統一教会に関係したお金は延長ができないのです。それで第2金融圏にお金を借りて利子だけ与え、だめなら第3金融圏から借り、こういうふうにしているので、一つも返すことができずに莫大な借金がやたらと増えていきました。それゆえ難しい状況にあったけれども、IMFに遭ったので、どうなるでしょうか。統一教会の全ての土地、建物、財産が担保にされてしまいました、企業体において。それでヨイドの土地が第1担保権から第5担保権まで担保に設定されていたのが1,690億でした。私たちのグループ自体が1997年11月末に破綻しました。そうなると、どんな借金だらけの人でも競売してお金をもらうことができる土地がヨイドの土地でした。一言で言うと、ヨイドの土地については本当に天佑神助という言葉を実感します。神様が手伝ってくれました。ヨイドの土地が1999年初めに飛んでいくようになっていましたが、それを取り戻したのは天佑神助です」2016.4.9.郭錠煥の講演,忠南公州韓国文化研修院.
[2] (郭錠煥会長の報告)「一つだけ付け加えて説明します。今やお父様のみ言葉のように、お父様がされることができることに10分の1もこの人々は表現しませんでした。そういう点で天の前に無限の感謝を申し上げ、これからこの人々が正確な面の記事はこれが根拠となって様々にこれから仕事を推進していくにおいて障害要因となり得るので、ここではヨイドの件だけをお話します。ヨイドはお父様の計画があって韓国の多くの制約に勝って成功する為に外国投資会社に全ての開発を一任して下さいました。それで、それは統一教会が直接するのではなく、外国投資資本会社に仕事を任せたということだけ知って、誰がそういうことを言ってもそのように返事して、この内容はまだ公式的に私たち自体から発表していないのは、「公式的にそういうことは聞いていません」とすべきであって、先走らないようにお願いします。私たち統一教会人は笑いを管理するのが難しいことが少なくありませんが、今日お父様が語られたとおり、私たちが準備を備えることができなければどうしようもありません。そういう点でお父様の貴いみ言葉を私たちは心に刻まなければなりません。お父様に大きな感謝を捧げましょう」(拍手)「お父様は有名なのです。有名ですが、私が悪口も沢山言われ、ありとあらゆる事実がありますが、どの国に行っても文総裁は手をつければ失敗したことがなく決着をつけますが、国が反対したり…。そういう概念になっているのです。それを皆さんがどう守っていくのかというその伝統だけ立てていけば、お金は無尽蔵にいくらでもあります。これから210ヵ国を超えるそういう日を眺めて、その時の時代において銀行家が文総裁を誰が中心となって占領するのか、その占領する会社は世界的な銀行を指導することができ、世界的国家まで、国連までも引っ括めて政治的な全ての内面政策樹立の必要がないように、統一教会は模範を立てて万国が発展して残ることができる道として指導案内するでしょう。そのように予測しているということを皆さんが知って、そういうことができる主人として、責任の遂行に燃え失敗がないように努力してくれるようお願いします。(アーメン)『み言葉選集』 486巻,39-40頁.2005.2.1.
[3] K氏の証言.
[4] 事件番号2011ロ65695 ソウル高等裁判所第12民事部判決文 32頁.
[5] 事件番号2011ロ65695 ソウル高等裁判所第12民事部判決文 23頁.
[6] 2006年4月23日に創教者がポール・ロジャーズから全ての真実を知らされた後、Y22事業は郭錠煥と文顯進の主管で進められたものと見られ、文國進とポール・ロジャーズが衝突した是非を誰かが創教者に反対に報告した可能性がある。K氏の証言によると、創教者は当時、郭錠煥が8,000億ウォンの損失を被ったことが知らされていたという。創教者が提出した法廷陳術書においてポール・ロジャーズが文國進に欠礼で対したという言及が出てくる。創教者は正確な報告を受けることができなかったものと見られる。
[7] 事件番号2011ロ65695 ソウル高等裁判所第12民事部判決文 23頁.
[8] 事件番号2011ロ65695 ソウル高等裁判所第12民事部判決文32頁.
[9] 2012.5.8.龍山区漢南洞のある食堂でのM氏の陳述.
[10] 事件番号2011ロ65695 ソウル高等裁判所第12民事部判決文25頁.
[11] 事件番号2011ロ65695 ソウル高等裁判所第12民事部判決文32頁.
[12] 当時現場にいたM氏の法廷陳術書によると、「①文國進はパークワン事業から手を引くこと、②文顯進が理事長として在職中のUCIがヨイド土地の開発事業に対する責任及び所有権を持つこと、③UCIの文顯進理事長が郭錠煥とポール・ロジャーズの助けを借りて、ヨイド土地の開発事業を進めること、④文國進は韓国維持財団の業務から直ちに手を引き、UCI理事として文顯進理事長の下で仕事すること」を創教者が指示したが、文國進は激しく反発したという。家族会議でパークワン事態が収拾局面に入って解決されるものと思われたが、家族会議で決まった詳細事項は守られなかった。結局、文國進は韓鶴子の後援の下で韓国の維持財団理事長職を続けた。家族会議の詳細事項は、韓鶴子が創教者の決定と違って文國進が財団理事長の座を維持するように文顯進を条件付きで説得したという陳述が最も信憑性がある。結局、文國進は2006年5月8日に維持財団理事長に就任した。
[13] 2006年7月12日から新しい法人基盤施設分担金法が発効され、1,500億ウォンほどの負担金を追加で払わなければならなかったが、7月11日午後6時15分、勤務時間が切迫した状態で一般商業用紙で開発許可を辛うじて受けることができたという。(K氏の証言)
[14] 財団損害賠償金額第1審判決の内容:「被告は原告に対し 45,094,698,038ウォン及びその中の41,804,126,218ウォンに対しては2011.4.5.から、3,290,571,820ウォンに対しては 2011.9.23.から、各2011.12.29.までは年6%の、翌日から全て返す日までは年20%の各比率による金員を支払うこと」
[15] 『月刊朝鮮』2014年8月号, 399頁.