統一教会に一体何が起こっているのか? 著者は、統一教会分裂の現象を長年に亘って観察し、歴史的研究方法によって研究してきた。この本は、膨大な統一教会の一次資料に基づき、統一教会分裂の原因から過程、結果を詳細に記述し、統一教会の未来を見ている。
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8.統一教創教者が他界する-1<
2012年7月中旬から創教者は咳がひどかったという[1]。2012年8月3日、ついに創教者は集中治療室に入院する状況となった。しかし、このような状況は外部には知らされていなかった。創教者が入院した日、韓国にいた文顯進も状況を知らずにいた[2]。緊迫に動いていた2012年8月11日、文顯進の演説は、彼の決意が何なのか、統一教会の状況を眺める彼の視角が何なのかを示していた。
私は今まで沈黙を守ってきました。弟がどんなに過ちを犯しても、真の家庭を守り、弟を保護し、結局のところ兄として全てのことに責任を持たなければならず、沈黙を守りました。しかし、絶え間ない法的訴訟と世論を通して話にもならない人格殺害をし、世界巡回しながら食口を欺くことにより、2008年まで世界の中で真の家庭の位相を高めたものが、これ以上落ちるところがないところまで落ちてしまいました。
皆様が今なすべきことは、全ての過ちを再び正して、泥沼に落ちた神様と真の父母様の摂理的基準と方向を正しく確立しなければなりません。私は皆様を先頭に立って導いていきます。(拍手)私の願いは、この場にいる皆様が良心的な人であり真実を追求する方として、誤った統一運動を正しく修正して歩むことを望んでいます。そうすることができますか。(はい)
多くの方は、私がいつお父様に会うのかと心配している方がたくさんいるでしょう。私のような人はどのような息子だと思いますか。私が老いた父に対して、この問題をお父様が解決して下さいと言うと思いますか。それとも、私が解決してからお父様を訪ねて行って、これを使って下さいと言うでしょうか。私たちが本当に孝道する道が何であるかを教えてあげなければならないと思います。孝とはどのような道ですか。私の父は、孝子が行くべき道を教えて下さいました。孝子は父の夢を自分のものとし、父が成せなかった夢を自らの力で成し、その時、父母様の下に帰らなければなりません。皆様がよく知っておくべきことは、この問題はお父様が起こしたものではありません。父母様が可哀想です。私のような人は絶対に老いたお父様にこれを解決して下さいとは言いません。私はそのようには思いません。子女がこの問題を起こしたのなら、自らこの問題を解決しなければなりません。子女が責任を果たして家庭を生かす道を見つけるのです。この汚れたものを父母様に押し付けないで下さい。向こうがそれを守らなくても、私たちは守らなければなりません。私は守ります。今や、これからは長く続かないでしょう。
見ていて下さい。そして、特に統一教会の指導者が、続けてこのように非原理的に行動すれば、もはや彼らを守ることはできません。攻撃すればするほど、自分たちの行動に対して自ら責任をとらなければなりません。皆様を通して彼らに警告を伝えるのです。向こうにいる全ての人たちに話したいことは、彼らが約束した全てのことは全て偽りであるため、成されることはありません。しかし、私が最初に始めた時、立たされた状況がどんなに小さく弱く見えたとしても、私が皆様に約束した全ての内容は全て成されてきました。天が誰を祝福すると思いますか。見ていて下さい。そして、これをよく知らなければなりません。
これは単なる兄弟間の葛藤や組織的な戦いはありません。これは天宙史的な戦いです。真の家庭の理想が定着するかどうか。私は必ず守ります。保護します。私は前進するにあたり、如何なる障害や試練があっても真の家庭の理想を保護し、天の勝利を守ります。皆様に明らかに申し上げることは、神様の勝利を守る道を防ぐ者は誰もいないということです。ですから、皆様は摂理の主人とならなければなりません。私は摂理の主人となって、ルビコン川を渡りました。皆様はどうですか。命をかけて、その基準を守り、み旨を成すと決意しますか。
皆様が旧世代に執着して生きようともがく中で命を失うのか、それとも、新しい時代に死のうとする覚悟で摂理に責任をもつ者となるのかということです。どのような人になりたいですか。今日、私たちはルビコン川の丘の上に立っている立場です。いいえ、カナンの丘に立っていると考えましょう。カナンの丘で神様が約束されたカナンの地に渡って行く者となりますか、それとも荒野に残る者となりますか。カナンの地に向かって前進する者となりますか。(はい)誓う人は立って、アジュと決意をして下さい[3]。
文顯進は、自分が置かれた状況と統一教会の状況を眺める観点、自分が行くべき道と使命を明確にしている。いかなる反対にも関わらず、自身の行くべき道を行くという決意を明らかにしたものと理解できる。彼が統一教の分裂を「天宙史的戦い」と定義したことは注目すべき部分である。彼は絶対者の崩れた摂理と理想を実現するため、この戦いから決して退くことも、妥協することも、負けることもできないと、何十回繰り返したことだろう。
2012年8月12日、創教者は無理な退院に固執して体調が悪化し、その日の夜、再び入院しなければならない状況となった。さらに、咳をしている時に、食べたお粥が逆流して氣道に入りむせて、非常に危険な状態に陥った[4]。創教者が生死をさまよう状況で、清心病院の救急車でもなくSUV車で急いでソウル聖母病院に移動し、307号室に入院して応急措置を受けたが、呼吸が困難な状況であった。検査の結果、肺から肺炎の細菌が血液中に転移し、その細菌が腎臓まで入ったのである。創教者は危急な状況にあったが、この事実は徹底的に秘密にされ、文顯進も知らなかったようである。創教者の入院の知らせが第三者を通じて文顯進に伝わり、2012年8月15日午後4時30分、文顯進と創教者の劇的な再会が集中治療室で行われた[5]。
統一教会が発表した資料によると、文顯進との再会後、創教者の状態は8月27日まで少しずつ好転したようである。文顯進は創教者が回復しているという知らせを聞きながら、8月18日、GPLC韓国大会を盛況のうちに終えた[6]。この大会を終えて創教者と再び再会する時を待っていた文顯進は、警護員たちが病室の出入りを妨害している中で、一行2人と集中治療室を訪れ、創教者面会を求めたが断られた[7]。結局、文顯進は創教者に会うことはできなかった。
[1] 2012.8.19.文亨進の説教.
[2] 2012.9.1.金慶孝の陳述.金慶孝によると「顯進様はお父様が聖母病院の集中治療室に入院しておられるという事実について、他の兄弟はもちろん、教会側から一度も公式通知を受けたことがない。私が、お父様が聖母病院に入院しておられるという事実を確認した時間は、8月15日午前10時15分頃であった。集中治療室の4つの階を全て探しても、教会側の人が目につかなかったため、最後に21階に上がったところ、そこで金孝律氏と出くわし知ることとなった。私は、10時20分頃に金00補佐官を通して知ったこの事実を顯進様に報告した」
[3] 2012.8.11.文顯進会長招請講演会.ソウル・ラマダホテル.
[4] 2012.8.19.文亨進の説教.
[5] 「お父様、私、顯進です…。天の摂理のために頑張って下さい。起き上がって下さい。韓国と全世界でお父様の夢を成すために大きな基盤を作っています。早く元気になって、起き上がって下さい。私がどれほどお父様に会いたかったか、お父様はよくご存知のはずです。私の心は変わっていません。お父様と通じたい心をたくさん持っています。お父様は必ず生きなければなりません。ですから早く元気を出して、起き上がって下さい…。アッパ!」すすり泣きに濡れた声ではあったが、顯進様は、お父様がそれほどまでに待っていた息子の声を聞いて、意志を持って起き上がれるようにお父様の耳に聞きなれた息子の声を聞かせてさしあげました。お父様は、顯進様が来られたことを知ったのか、顯進様の手をしっかりと握られ、顯進様が語りかけるたびにお父様の手を通して反応が伝わってきました。時には体を少し動かそうともされました。顯進様がお父様に語りかけておられると國進様夫妻と亨進様夫妻が病室に入って来られました。顯進様の後ろ側に立っておられた國進様は元気を出して下さいという顯進様の言葉を断ち切り、もう、帰れと言われました。顯進様は邪魔しないようにと國進様に言って「多くの人がお父様のために祈っているので元気を出して下さい」とお父様に再び語りかけられました。すると國進様は「もうそのくらいでいいから行って下さい」と言いながら、再び顯進様の言葉を断ち切りました。すると顯進様は「ここで騒ぎを起こそうと降りてきたのか」と言いながら、3年ぶりにお父様に会っているところまで押しかけて来て監視し邪魔をする弟に失望感を表されました。國進様は全く退こうとする意志がないように「私は兄さんが怖くない。兄さんには資格がない。外で勝負するならそうすることもできる。お父様がこのようになられたのは兄さんせいだ」という軽率な言葉を吐いた。結局、顯進様はそれ以上お父様と時間を共にすることを放棄し、お父様に再び訪れることを約束して病室を出られました。お父様は顯進様が出て行くのを望まれないかのように顯進様の手を簡単に放されませんでした。顯進様は、集中治療室に横になっているお父様にお目にかかっているところにまで来て出て行けという軽率な言葉を吐く國進様の無礼を例に挙げ、今、間違いを犯した指導者を皆、整理する時が来たと語られながら、50%であるという医師の言葉通りならば、お父様が健康を回復される可能性が大きいので、食口は希望を持ってお父様の回復のために祈祷の精誠を捧げることを強調されました。お父様は、この地上でまだなさなければならない重要な責任が残っておられるので、絶対に今、霊界に逝かれてはならないと語られました。2015.8.15.金慶孝の陳述.http://cafe.daum.net/W-CARPKoreahttp://cafe.daum.net/W-CARPKorea.金慶孝の陳述に反論する文を8月18日,ドゥ・ソンヨンが「顯進様の真のお父様の訪問についての真実」という題目で公開した。http://cafe.daum.net/W-CARPKorea/cSkJ/ 16735.
[6] ソウル西大門区弘恩洞所在のグランドホテル・コンベンションセンターで開かれたGPLC韓国大会は、「統一韓半島の未来ビジョンと世界平和構築」という大主題の下で開会式、本会議、テーマ発表(1.宗教的価値を中心とした統一韓半島の社会統合のための努力、2.生活型統一運動の具体的な実行法案、3.統一韓半島を前倒しするための女性の役割、閉会式の順で行われた。この日の国際会議には、韓国内の保守と進歩陣営を網羅する統一運動団体と30余ヵ国から400名余りの著名な人士が参加し、南北統一を促す統一宣言を宣布した。
[7] この時、金孝律は金慶孝に「お母様がお父様の唯一の保護者であるため、如何なる子女たちもお母様の許可なしにお父様に面会することはできないとし、『法的な』手続きを全て終えた言った。彼は顯進様がお父様にお会いしたければ、お母様にまず会うようにと言った。それ以上の会話が難しいと判断した私は、警護を任されていた人に直系の息子である顯進様がお父様のお見舞いに来る場合、ここにいる人たちが阻止するのかと尋ねた。彼は上からの指示だから仕方ないと答えた。衝突が起きれば警察が直ちに出動することになっているとも言った。私は、このような指示を誰がしたのか、お母様の周辺の指導者なのか、それともお母様が直接されたのかを尋ねた。彼はお母様の指示であると淡々と答え、公式的に許可された面会時間が過ぎるとその場を離れた。 2012.8.29.金慶孝の陳述.http://cafe.daum.net/W-CARPKorea/cSkJ/16769.