統一教会に一体何が起こっているのか? 著者は、統一教会分裂の現象を長年に亘って観察し、歴史的研究方法によって研究してきた。この本は、膨大な統一教会の一次資料に基づき、統一教会分裂の原因から過程、結果を詳細に記述し、統一教会の未来を見ている。
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2008.12.26.天正宮安侍日訓読会で、創教者は特別な指示をする。
創教者は文顯進夫婦、文國進夫婦、文孝進家庭、文信元家庭、郭錠煥、梁昌植、黄善祚、石俊淏、尹晶老、金孝律、河英鎬、金振春、宋光奭、朴ウォングン、金孝南、金ブテ、江原教区牧会者と中心信徒など120人余りが参加した「天一国8年12月26日(金)天正宮安侍日訓読会」で、「One Family Under God」の実現を中枢的に担当する摂理的機関としてGPF活動を支援するものとして公認した。既に前にも言及したとおり、GPFは統一教会の他の機関に比べて支援や規模が微々たる水準で始められたが、統一教会を代表する機関になったことを創教者が認めたものと思われる。文顯進のGPF活動を真の子女だけでなく、統一教会の祝福家庭全体がしなければならないと教示した。統一教会の如何なる摂理機構よりGPF活動を最も優先視しなければならないということである。教会には絶対概念がないが、GPF活動には絶対概念があると語った。永遠に変わらないとも語った。GPF活動を通じて新しい国の形態が出発するとして、GPF活動は摂理史の新しい出発だと定義した。
2008.12.31.2008年12月31日夜の新年元旦集会を2時間余り後に控え、創教者は文顯進を呼び、「これから全てのことの責任を負う準備をせよ」と教示した[1]。
筆者が2006年4月24日以後展開された文顯進の活動を相当な分量を割いて言及したのは、文顯進の活動と彼の言及を通じて彼のアイデンティティを把握することができるからである。文顯進の活動は外的にはGPFとILCの「One Family Under God」の理想を中心に、超宗教・超国家的な連合運動を展開して南北統一に連結することであり、内的には絶対者の夢、創教者の夢、統一教会の夢である2013年基元節に実体天一国を実現することができる基盤を築くことであった。ところが、統一教会史で類例がないほどに文顯進のGPFは世界的な人士と参加した人々のレベルとその規模は言うまでもなく、創教者からも歓迎されたが、統一教会の核心幹部、特に「真の家庭」の兄弟たちは冷淡であった[2]。実際、彼らは文顯進を統一教会の現場から消えるべき存在として烙印を押していた。反文顯進勢力が押した烙印は2009年3月に現われた。
2009.1.1.1月1日元旦に創教者は年頭標語として、「天地父母天宙安息圏絶対性真の愛•真の生命•真の血統権勝利宣布時代」を発表した。文顯進も他の兄弟と一緒に天宙清平修錬苑天正宮博物館で挙行された第42回真の神様の日行事及び神様王権即位式第8周年記念式に参加した。
2009.1.3.第1回UCI年次総会[3]
2009.1.3.1月3日朝の訓読会中、創教者は1月15日の「神様解放圏戴冠式」の時に末子の文亨進夫婦が創教者の子女を代表して王冠と龍袍を着て後に従うと語った[4]。
僅か3日前まで創教者は文顯進が全ての責任を負わなければならないと直接語ったにも関わらず、その決定を変えた。創教者は高齢ではあったが、統一教会の運命がかかった重大な決定をそのように簡単に変えることはできない。確かに創教者は語ることができない事情で苦悩していたことは明らかである。事態の本質を理解する為にはもっと多くの資料ともっと多くの証言が必要である。ところが、この疑問を解く重要な証言を確保することができた。
創教者の最側近であるWの口からこぼれた話の内幕は次の通りである。創教者は2009年1月1日未明に、文亨進ではなく文顯進が「神様解放圏戴冠式」に王冠を被るようになるだろうと語ったという。この言葉を受けて真の家庭と最側近の幹部はその日、麗水に集まって非常対策会議を開き、創教者の心を変える秘策を立てたという。その秘策とは他ならぬ極端な方法で創教者を圧迫することであった。韓鶴子は真の家庭を破壊して自殺すると創教者を脅かし、真の子女は文顯進が脱線したと説得したという。最側近と高位幹部らは文顯進が創教者の位置を勝手に名乗ると異口同声で語り・・・[5]。
この言葉を伝えてくれたMHの全ての陳述を評価すると、かなり信憑性があると筆者は評価する。その理由は、この言葉をMHが知るようになった状況が非常に具体的だからである。
2009.1.6.文顯進は15日の行事に不参加の意向を明確にして米国に出国した[6]。
創教者は既に予告した通り、2009年1月15日に「神様解放圏戴冠式」という儀式[7]を行い、王冠と龍袍を着た文亨進夫婦が創教者夫妻の後ろに従った。この儀式に対する宗教的意味より、この儀式の主人公が誰であり、この儀式が文亨進夫婦が創教者から相続者・代身者・後継者の権限を受け継ぐ後継者冊封式のような行事なのか否かが議論された。
反文顯進勢力はこの行事が文亨進の後継者冊封式だと統一教会人を教育し、この内容は一部を除いて無理なく受け入れられた。創教者が世界会長である文亨進に2008年12月24日、「文顯進を中心に一つになれ」と指示してから22日後の2009年1月15日に反転が起きたのである。この行事は創教者の真意と無関係に誰も否定できない文亨進の後継者冊封式として認識された。
「神様解放圏戴冠式」直後、これを文亨進の後継者冊封式として宣伝する中で、統一教会は創教者を先頭に立てて文顯進を統一教会の現場から確実に除去する為の作業に入って行った。このような事実を知らない文顯進は創教者に手紙を書くなど、創教者の心を変える為に努力したように見える。ところが、この当時の創教者の言及から彼の内心を窺い知ることができる幾つかの端緒が捕捉される。2009年1月15日の「神様解放圏戴冠式」から9日後の2009年1月24日に創教者は、韓鶴子に底意のある話をした。
お母さんは、勝手にしようと思っているのです、勝手に動いてみろというのです。お母さんはお母さんの行きたいままに行き、私は私の行きたいままに行くと言ったのです。私が朝、どれほど深刻だったでしょうか。日が昇る前に日が消える真暗な世界、電灯の光が砂浜に映るような、ちょうどそういう気持ちで未明から発ちました。今日は大変革を成すだろうというのです。お母さんは勝手にしろというのです。先生の周辺にいる孝律自体から、付いて来る尹ギビョン自体から、その次にドンホ! [8]
創教者のこの言葉は韓鶴子が「真の家庭」の家庭の事だけでなく統一教会の重要政策などを自分勝手にしていることをほのめかしたものと理解できる。そしてその内幕を創教者は知っていて、それは深刻だというのである。そして、「今日成そうとする大変革」が何なのか正確に知る人はいない。そして同じ場所で創教者は、「神様王権戴冠式」が反文顯進勢力が宣伝している文亨進の後継者冊封式ではないと明白に表明している。
万王の王、神様が何ですか。(解放圏です)解放圏です。神様だけが解放圏戴冠式であって、他の人ではありません。先生が中心ではないのです。こういうことを、こういう理論を説明するその何かがなくなったら「解放式を先生が全てした、神様は従って行った!」となり得ますが、そうではありません[9]。
この行事は創教者の為のものではなく、誰の為の行事でもなく、「神様だけの解放圏戴冠式」だというのである。創教者はこのような言及をしたが、創教者の権威が既に崩れるままに崩れたせいで、行き違った真の家庭の秩序を立て直すことはできなかった。
事態の深刻性を理解したのか、そうでなければ文顯進が1月13日に創教者に送った書信が伝達されたのかは分からないが、2009年1月25日に米国ラスベガスで創教者と文顯進は会見した。彼らの間に交わされた内容は伝えられていない。
[1] M氏の証言.
[2] 文亨進のUPF世界会長就任の辞、2009.11.18.「これから、完成期の統一教会をお父様から許諾を受け、統一教を大きく使えと語られ、これからは完成期の統一教を出発しました、統一教運動を通じて天一国を完成します。…私たちは平和運動をすることが中心目的ではありません。平和運動だけで真の父母様の信仰は生じません。平和運動を通じては天一国は創られません」;「國進様と亨進様は、文顯進のGPF活動に対して徹底的に無関心で対処した。國進様は平和運動だけではみ旨を成し遂げることができないという表現をしばしば使い、GPFを見つめる彼の視覚を現わした。2人の無関心がどの程度だったかを代表的に示す事件があった。真の父母様の指示で9月11日に鮮文大で真の子女様の名誉博士学位授与式が開かれた。モンゴルGPF行事を成功裏に終えた顯進様は、この日、韓国で帰国すると直ぐに子女様らと全淑様の名誉博士学位授与式を祝賀する為に、鮮文大学を訪問したが、その式場で侮辱を受けた。壇上で学位授与者を代表して所感を発表した亨進様は、國進様に対しては高い称賛を並べ立てた一方で、GPFを終えて直ぐに到着した文顯進に対しては一言も言及しなかったからである。自分の夫人である妍雅様がモンゴルGPF行事に薫淑様と一緒に参加して帰って来たにも関わらず、何の言及もなかった。博士学位を受けるために、わざわざ韓国に立ち寄ったパク*ホン氏はこの状況を直接目撃して、顯進様がどれほど困難を感じているかを今更ながらに感じることができたと語った」 K 氏の証言.
[3] 文顯進は午後6時、マリオットホテル地下1階の第5会議室で、36家庭、元老食口、指導者を迎えて晩餐会を主管した。その後、マリオットホテル2階会議室、UCI傘下機関指導者50人余りが参加して、第1回UCI年次総会(3~5日)で各責任者の報告後、演説した。
[4] 王冠と龍袍が意味するところが何なのか、大多数の統一教人は知っていた。2008年4月16日に創教者が 「統一家において文亨進が信仰的にも全ての面で最も優れている」と述べ、家庭連合世界会長として任命したことと共に、創教者の後継者・代身者・相続者が文顯進ではなく文亨進として最終決定されたものと理解されたのは明らかであった。
[5] 2016.6.2.MHの陳述(MHの自宅)。MHにこの言葉を伝えた者は、WやPと緊密な関係があったKSだという。2009年5月頃、KSがMHの家に頻繁に出入りし、一緒に夜を明かして話した日が多かったという。しかしKSは後日、MHに語ったこの陳述を否認したという。
[6] 文顯進の頑固な行動に韓鶴子は慌てて人を送って接触を試み、出国を阻んだが無駄だった。文顯進は米国に到着して直ちに一連の状況に対して創教者に懇切な書信を奏上したが伝達されず、創教者は大変残念に思ったという。
[7] 2009年1月15日午前、天正宮で万王の王神様解放圏戴冠式が、国際平和頂上会議参席者など内外貴賓2千人余りが参加して挙行された。式典は告天文朗読(郭錠煥)、国家・宗教還元式(12ヵ国代表各国国旗奉呈・12宗親代表平和の王冠奉呈・8大宗団代表各宗団象徴物奉呈)、付添い人入場、平和の王入場、『平和神経』下賜及び祝祷、指揮棒(文信哲)・御璽(黄善祚、劉正玉)・推戴牌(金玟河)奉呈、祝辞(李哲承、ジェイムズ・マンチャム)、祝歌(金美蘭)、真の父母様のみ言葉、12ヵ国『平和神経』及び平和国連旗下賜、祝祷、億万歳三唱(任導淳)などで進められた。12時30分に慶祝午餐が続いた。
[8] 『み言葉選集』607巻,11-12頁.2009.12.4.
[9] 『み言葉選集』607巻,17頁.2009.1.24.