統一教会に一体何が起こっているのか? 著者は、統一教会分裂の現象を長年に亘って観察し、歴史的研究方法によって研究してきた。この本は、膨大な統一教会の一次資料に基づき、統一教会分裂の原因から過程、結果を詳細に記述し、統一教会の未来を見ている。
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2009.1.31.天宙平和連合(UPF)、2009年世界平和頂上会議ニューヨーク開催[1]
1月31日、ニューヨークのマンハッタンセンターで世界15ヵ国から宗教・政治指導者3,700人余りが集まり、2009世界平和頂上会議(1月29日~2月1日)が開催され、文顯進はこの会議で基調演説をした。
母親を中心とした真の家庭が自分を追い立てている状況で、この日の基調演説をした文顯進の内面を理解する必要がある。真の家庭の秩序が崩れている動機が残念なことに父親の一貫性のない態度だったために、父親に対する怨望と愛憎はなかったことはないであろう。しかし、文顯進は生涯成してきた絶対者・神様のみ旨を中心に、父が正しい判断をするだろうと期待していたはずである。当時、行事会場で文顯進の演説を聞いていた韓鶴子、文國進、文亨進、文仁進、そして文顯進の反対勢力が果してどのような考えをしていたのかは非常に自明である。文顯進は壇上で演説してはいるが、既に文顯進を確実に追い出す計画は準備されており、数日後にその計画は実行された。
2009年2月初めから文顯進は創教者が指示した世界巡回の準備で忙しかったという[2]。その当時、創教者が2月の中頃に韓国に帰って来るやいなや、(既に2005年から再三言ってきたのに守られなかったが)文顯進、文國進、文亨進に対する責任について再び言及し、文顯進は米国に責任を持たなければならないという話を訓読会で何回もした。言い換えると、米国総会長は文顯進ということである。
韓国は亨進が責任を持ち、日本の国は國進が責任を持ち、米国は顯進が責任を持つようになっています。先生は昨日未明、三度も嘔吐しました。私がそのように嘔吐するのは初めてです。歴史を清算する意味で嘔吐し、朝から晩まで食べませんでした。お母さんは新羅宝石商に行って亨進夫妻、文國進夫妻、顯進夫妻の礼物を買ったとのことです。記念品を与えようと考えているのです。兄弟が一つになって、先生の家庭が一つになれる基元を作る為のことです[3]。
目につくのは、創教者が「兄弟が一つになって真の家庭が一つになることができる基元を作ろうとした」という事実である。創教者の目から見ると、兄弟と真の家庭は分裂していたことが明らかである。しかし既に文亨進は、2008年7月29日に創教者の意思とは無関係に文仁進を米国総会長として発令した状態であった[4]。創教者のこの指示が今度も守られるわけがなかった。この指示が履行されれば、反文顯進勢力が文顯進除去に注いだ全ての努力は水泡に帰すからであった。それでは、創教者は兄弟が一つになることができず真の家庭が分裂した原因をどのように理解していただろうか。創教者は既に、真の家庭の妻であり母親であった韓鶴子の責任に対して何度も言及したが、2009年2月16日に創教者は真の家庭の分裂の原因が韓鶴子だと考える内心をほのめかした。
今日、父母様の御印を押すと指示して、朱肉まで準備しなさいと言ったでしょう。今しているのか。押したのか。(はい)きちんと私は全て準備しました。これ以上教える内容はありません。これは何ですか。天国を開く道、真の家庭。文鮮明!(基元節まで)4年と数ヵ月が残りました。この時まで、お母さんが責任を果たすことができる度数に及ばなかったら、問題が起きるのです。その為に私が、無事に責任全てを築いておいたので、これまでしたので、お母さんも自分が悔しいと腹いせすることなく、拳を上げて打たない限りは全て解決されます。
女を娘として侍り育てて、妻を作らなければならず、その次には母を作らなければならず、その次には祖母を作らなければならず、女王の位置まで作らなければなりません。神様の夫人の位置まで育てなければなりません。その道は真の父母しか解りません。真の父母だけができる最後の道です。それは誰にも任せることができないので、私が最後までお母さんを育て、そのようにしなければなりません。[5]。
この言及は、創教者が統一教会の摂理的重大事を文顯進から文亨進に、再び文顯進に右往左往した内的事情の一部を把握する端緒と考えられる。創教者にとって基元節は、必ず成功しなければならない宗教的使命であった。その成功は正に、娘として連れて来て育ててきた韓鶴子が創教者の妻として真の家庭の母、祖母として、天一国の女王として、さらには神様の夫人として責任を果たしてこそ可能であった。そして、創教者がその道を全て築いておいたにも関わらず、基元節まで僅か4年が残った時点で(韓鶴子の責任がまだ終わっておらず)、もし完成することができなれば、問題が起るということである。創教者が悔しいと自分の拳で韓鶴子を打たない以上、基元節は成功するという言葉で、自分の苦しい心情を吐露したのである。
2009年2月15日、20日など続けて兄弟の和合と真の家庭が一つにならなければならないことを強調しながら三兄弟の責任分野を言及する中で、米国は文顯進が責任を持たなければならないと明確にした。しかし当時、現場にいた金孝律、文亨進、文國進、梁昌植、朱東文、黄善祚、石俊淏などの高位幹部らは、文顯進が「世界194ヵ国GPF特別巡回」に出発する当日までも文顯進に米国総会長職の発令をしなかった。創教者が文顯進に指示した使命は、2月27日から5月31日まで3ヵ月間、194ヵ国に世界平和家庭連合を創設し、特に2008年地球村平和祝祭(GPF)の成功的実践モデルを各国家の底辺に定着させる為に、各国政府及び機関、NGO 団体などを共同後援及び協力パートナーとして責任を果たすことであった。
その後、創教者は二日続けて訓読会でこのような人事措置について言及し続けた。文國進は即時その翌日に日本に出国し、その日に日本総会長は任導淳から韓国財団事務総長職にいた宋栄錫に交替した。文顯進は米国で消息を聞いて公式的な通知を待ったが、一週間経っても何の発表もなかった。文顯進の補佐官が梁昌植に直接電話したが、待っていろという返事しかなかったという。仕方なく文顯進は米国分捧王の朱東文を通じて創教者の意志を確認し、朱東文は創教者から直接受けた答えを文顯進に伝えた。
米国全体の責任は文顯進にあるという内容であった。文仁進は総会長ではなく祝司長として牧会に専念し、壻の朴**は教会の仕事に関与するなということであった。これは朱東文だけ聞いたのではなく、多くの指導者が一緒に聞いた内容であり、その場には許文道のような平和大使もいたという[6]。
文顯進は文國進、文亨進、文仁進、金孝律、梁昌植などといった指導者が何故創教者の重大な人事措置を遅延させているのか充分に知っていた。文顯進としては、こうした教会の政治闘争[7]に介入したい心もなく、さっぱりと世界巡回に発ちたい心もあったであろう。しかし、日本が経済的に深刻な打撃を受けるようになれば、創教者の最も重要な摂理基盤の一つであるワシントンタイムズが直接的な打撃を受けるだろうということをよく知っていたし、創教者の為に最悪の状況は防がなければならないと思ったであろう。
結果的に文顯進は、2月28日から始まる世界巡回の為に、25日の米国を発つ前に米国全体の指導者を召集して会議をしようとした。この為に金**米国大陸会長は差し迫った立場で金**補佐官宛に2月22日に書信を送り、文顯進の人事発令公文を迅速に送って欲しいと要請までしたが、無視された[8]。
米国時刻で2月23日、米国指導者会議を終えた日の夜、韓国にいる世界宣教本部S副本部長名義の電子メール公文が米国大陸会長に到着した。公文には総会長である文仁進の地位に変わりはないという文國進の指示[9]が盛り込まれていた。続いて文亨進が組織上創教者の代身者であり、文顯進の上司であることを明示する図表がある公文が発送された。これは多分、文仁進の報告を伝え聞いた宣教本部側で文顯進を意識し急遽、作った公文であったと思われる[10]。
翌日24日の朝、公文書を受け取った文顯進は非常に不快な心気を現わし、職権で米国統一教会理事会を召集した。名分は創教者の意志に従い、元来どおりに理事会を戻すことにあった。しかしこれは、創教者の権威に対する挑戦と兄弟間の争いとして報告され、文國進はこれを文顯進の「クーデター」として追い詰め強く非難したという。この事態をめぐり、金炳和は米国で深刻な混乱が起きていることを知らせる以下のような緊急報告文を、2月26日に金孝律補佐官を通じて創教者に直接奏上した[11]が伝達されなかったという。
顯進様は、お父様の意志を奉じてこの場に責任者として立ち、米国は一つの国ではなく世界に米国が及ぼす影響力を説破しながら、今のような危機状況でもし米国が誤れば、「Game is Over!」になるだろうと言い、私たちは共に長子国家・米国の責任を果たし、困難な日本を生かし、韓国も助けていこうと指導者を督励しました。そして、その場に集まった家庭連合とUPFの指導者に2つの中心摂理組織が立派な摂理のパートナーとして米国摂理において一つの方向に向かうように各自のオーナーシップと協力を発揮するよう依頼しました。顯進様はみ言葉の途中で涙を流しながら父母様に対する本当の孝心を示し、特に年老いたお父様の2013年までの摂理を奉じて米国の責任の十字架を負うとして悲壮な決断を見せました。全ての指導者は突然の変化に初めは当惑する雰囲気もあったが、顯進様が米国を引き受けるようになって、この難しい難局を打開するのに大きな解決点が見つけるようになるだろうと皆が歓迎する雰囲気でした。本当に顯進様と仁進様が一つにさえなれば、米国には大きい希望があるという雰囲気でした[12]。
米国統一教会理事会の嵐によって結局、創教者は文仁進、文顯進、文國進、文亨進など4人の子女を2月26日午後に束草に呼び出した。26日午前、韓国に到着した文顯進は創教者に会う前に理事会を元通りに替えて、その結果を報告しようとした。一方、文國進と文亨進、文仁進の三人の兄弟と妹はこれを霧散にさせようとした。2月26日午前、米国理事会の会議が電話を利用して開催された。当時理事長職にあった文仁進は真っ先に発言権を得て、直ちに父親である創教者に会うので、理事会自体を散会することを提案した。これに米国統一教会のマイケル・ジェンキンス協会長が同意した。この時、文顯進を支持する金炳和米国大陸会長が表決に付そうと提案したが、表決の結果、理事会を終了しようという側が6票、開始しようという側が5票となり、理事会は中断された。
他の兄弟より早く束草に到着した文顯進は金炳和と共に創教者に経緯を報告しようとしたが、創教者は完全に耳を閉ざしていた。霊界の指示のみに従うという意味深長な言葉を残したという[13]。創教者は束草に集まった4兄弟と幹部をコンドミニアムに集めて、創教者が同席する中で夜遅くまで劉正玉会長を立てて原理本体論序論の講義を聴かせた。続いて集会が終わり、創教者は子女らに互いに相談して解決策を作るように機会を与えた。しかし隙間が広がるだけ広がった兄弟の関係、特に文顯進と文國進の関係は対話で問題を解決できる状況ではなかった。文顯進は対話を試みたが、その日の夜に2人の兄弟はともすれば物理的衝突につながりそうな状況まで至ったという[14]。
文顯進は2月27日から創教者の指示に従い、5月まで「グローバル・ピース・ツアー」世界巡回日程を出発し、日本とフィリピンを経て3月7日に台湾まで大会を続けなければならなかった。
[1] UPFはこの日、「天宙平和の世界建設: 神様の下の一家族」という主題で、「地球的奉仕文化建設」「平和の手段としての結婚と家族」などの分科シンポジウムで具体的な実践方案を模索した。
[2] 創教者は米国行事を終わり、指導者会議で文顯進に世界180ヵ国巡回講演を7月までに完了せよと指示した。文顯進が全てできなければ、郭錠煥の家族が分担せよという指示までしたという。K氏の証言.;『統一世界』2009.3,Vol.453,103-104頁.
[3] 『み言葉選集』608巻,83頁.2009.2.20.
[4] 文亨進は、2008年7月29日に文仁進を米国総会長に人事発令し、文仁進は8月14日に公式就任式をした。文顯進夫妻はこの日の就任式に参加した。
[5] 『み言葉選集』607巻,310頁.2009.2.16.
[6] 文顯進前補佐官K氏の証言.
[7] 文顯進は統一教会の分裂を指導者の党派的な政治闘争として認識していた。「私は指導者の党派的文化と政治的関係が私たちの家庭を汚染させるのは時間の問題であることが分かりました。『類類相従』と『言葉と水は抵抗がない方に流れる』という言葉の通り、同一の利害関係を持った人々が互いにくっ付いて時間が流れると、ここに存在する境界線が私たちの家庭にまで及ぶことを知りました。私にとってこれは真の家庭の理想を根本的に壊すことであり、受け容れることのできない事柄でした。私は自分の利益を優先する政治的過程や体制の中で神様を見出すことはできず、反対に孤独で自己犠牲が求められる立場においてこそ、神様を見出すことができました。それゆえ、常に手付かずの自然が私の本当の教会であり、そこで神様は私の中に存在されることを体験させて下さり、私の行く道を悟らせて下さいました」 2008.3.23.創教者に送った文顯進の手紙.
[8] 2009.2.22.金**緊急報告文.「顯進様は父母様の意志に従い、2月27日から日本巡回を筆頭に、5月中旬まで世界巡回路程の長途に旅立たれるために、その前に米国摂理の全体責任者として緊迫性を要する職務を遂行する為の幾つかの公式的な手続きを終えようとされました。中でも最も重要なことの一つが理事会を召集することでした。これは仁進様就任以後の改編によって除外されていた金起勲、朴ジョンへ、フィリップ・シェンカーなどの3人を理事職に再び元通りに復帰させよというお父様の峻厳な指示を遂行する為の措置でもありました。顯進様は、理事会を通じて仁進様は理事としてそのまま留任させながら、顯進様が直接理事長になり実際の米国責任者として公務を遂行する為の措置を取り、約3ヵ月の旅程に発とうとされました。尊貴なる真の父母様、恐縮ながら、ありのままにご報告申し上げます。現在、米国は、緊密に全指導者が一つになってこの難局を越えて進まなければならないのに、突然、混沌に陥っています。韓国宣教本部では、米国教会は亨進様の指示を受ける仁進様が責任者であるとしており、米国ではお父様が最近語られた内容に従い、顯進様が教会を含み全ての統一運動の責任を任されたと言っています。現在、仁進様が総会長の座に固守しながら、米国教会が別に独立運営体制で進めば、米国の指揮体制は混沌に陥るようになります。米国での混乱を防止する道は、唯一人の指導者を中心に一つの方向、一つの指示が下す指揮体制を持つべきです。特に南北米連合摂理についても期待しておられる顯進様を中心に指揮体制が立たなければならず、仁進様は教会の牧会の責任を持ち、顯進様が全般的な権限を行使されるようになさらなければならないと思います」
[9] 2009.2.24.S宣教本部副本部長の電子メール:仁進様総会長職責の件
[10] 2009.2.24.全世界の組織に関する真の父母様の特別指示の件
[11] 2009.2.26.KBがPKに発送した2月26日付の手紙.「顯進様はお父様のみ言葉を伝え聞かれ、公文でこの指示が発表されるのを1週間余り待ってこられました。しかし、日本から始められる世界巡回の為に、25日に米国を発たなければならない立場において、これ以上待ってばかりもいられず、何回にわたり、お父様が公式の席上で語られたので、一旦、お父様のみ言葉を根拠に、23日午後に緊急に米国の指導者会議を召集するようにと要請されました。現在、世界宣教本部はお父様の指示に対する公式的な伝達がされていない状況で、勝手に公文を出すことができる立場ではないことは分かっていますので、金*律補佐官に緊急に依頼したい内容は、三人のご子女様が三つの国に各々責任を持つというお父様の指示を最終確認して下さり、お父様の裁可と併せてこの内容を宣教本部に知らせ、月曜日午前中に世界公文として流せるように措置して下さい。そうすれば、米国大州本部も、この公文に基づいて米国全域に公文を発送した土台の上で、米国全体の責任者として就任される顯進様を公式的に迎えて月曜日午後に指導者会議を開くことができます」
[12] 2008.2.26.金炳和の緊急報告文.
[13] 文顯進前補佐官K氏の証言.
[14] 文顯進前補佐官K氏の証言.