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統一教の分裂

統一教会に一体何が起こっているのか? 著者は、統一教会分裂の現象を長年に亘って観察し、歴史的研究方法によって研究してきた。この本は、膨大な統一教会の一次資料に基づき、統一教会分裂の原因から過程、結果を詳細に記述し、統一教会の未来を見ている。

5章1) 文顯進の登場: カリスマ伝授の初の試み-1

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1. お父様に最もよく似た人

 良い事書かれていますね。
 大事だと思ったところを、そのまま引用します。
 長くなってしまいました。

〇以下引用
 文顯進の世界平和統一家庭連合副会長就任式に招待された人物とその規模を通じて、創教者がその行事にどれほど精魂を込めていたかが分かる。
 創教者は「今日は神様が願った日」と喜び、「顯進が私より千倍万倍優れることを願う。神様の願いがあったとすれば、こういう日があることをどれほど待ち焦がれたかを思う時、私の心から深い感謝を天の前に捧げます。…三代を見ることができなかったことが堕落であり、歴史を再び起こす為のものが救援摂理であり、復帰摂理の完成であることを考える時、この三代を中心とした天の公的な責任を任命するということは天宙史的な事件である。このように思います」と言いながら、文顯進の就任を祝賀した。


 文顯進のリーダーシップは、創教者と内外共に最もよく似ている。
 現在の統一教会の状況に対する彼の態度と原則は、彼のリーダーシップが合理的だという事実を示している。
 文國進と文亨進が統一教会を離脱して韓鶴子を非難しているのと違い、統一教会と真の家庭の宗教的価値を軽視しない文顯進の態度は、統一教会分裂後の状況を肯定的に予測できる端緒である。
 統一教会の公式的な職位で行った彼の多くの演説と説教は、創教者が主唱した統一教会の復帰摂理の時代的アイデンティティとほぼ一致しており、一貫性があると評価することができる。
 彼が主張する統一教会の核心アイデンティティは、「One Family Under God、神様の下の一家族」という標語に集約される。
 宗教という範疇の中で絶対者を崇拝の対象として閉じ込めてきた宗教(統一教会)の限界を超越しようとする彼の志向性を理解することができる。

〇引用終わり

 後継者の就任式は、このように喜びをもって大々的に行うもので、何かの式典のついでに仕方なくやるようなものではないでしょう。

ただいまコメントを受けつけておりません。

5章1) 文顯進の登場: カリスマ伝授の初の試み-1

タイミングよく、この本に関する公開討論会の事が話題になっているようです。『統一教の分裂』テーマに公開討論会を開催  「統一教の分裂」 の本と 公開討論会に危機感 ? !  上記の記事に書いてあったように5章の関心が高いようで、私も前半の章は後に回して五章から翻訳掲載していくことにしました。現在の分裂状況を収拾するためにも、それぞれの立場の論者が集結して互いの考えを理解し、一つになる道を探し出すことを望むとともに日本人メンバーもこの本の内容を知って、真剣に考えていただきたいと思います。(JUN)




5. 創教者のカリスマ伝授の試みと反発

 

新宗教の発生と展開の過程において必然的に起きる重要な峠は、預言の失敗や老化により創教者のカリスマが崩壊したり、創教者のカリスマを正常に伝授できないまま創教者が他界する場合に起きる[1]。特に新宗教創教者他界後の後継者選定過程で展開される事態の深刻度は、新宗教が創教者の預言能力やカリスマに依存してきた程度に比例する[2]と筆者は見ている。

 

それでも大多数の新宗教は創教者の老化や他界などによって発生する多くの事態で、多少の混沌を経験するものの、それを克服してそれなりのアイデンティティを継承していくのが普通である。相対的にカリスマ伝授の為の後継者論争の後遺症がなかったり少ない新宗教は、創教者在世時に後継者に対する基準を教理や教則で明確に規定していたものと見られ、比較的合理的で原則的に宗教を運用した[3]場合であったと見ることができる。

 

 

1) 文顯進の登場カリスマ伝授の初の試み

 

1997123日頃に大韓民国は正式にIMF(国際通貨基金)と救済金融支援了解覚書を締結した。外国為替危機(国家破綻の危機)が公式化したのである。この時に統一教会統一グループの主要系列会社が連鎖破綻に遭遇した。統一教会のヨイド聖地は勿論、教会の主要資産が根こそぎ吹っ飛びかねない最大の危機であった。

 

同時期の12月、米国では創教者の長男・文孝進が数年前から家を出ていた洪蘭淑と正式に離婚し、19988月中旬には洪蘭淑が書いた英文の書籍 In the Shadow of the Moons[4] が出版された。これにより米国統一教会全体が直撃弾を受け、その影響は韓国にまで及んだ。

 

統一教会の多くの運動が内外で最大の危機に直面して絶望感に浸っている時、80歳を目前に控えた創教者は恐らく思いが複雑だったに違いない。何よりも動揺する統一教会の二世青年たちを収拾しなければならなかった。高齢である自分を助けて宗教的使命を成し遂げる誰かが必要だったはずだ。ところが当時、創教者の後を引き継ぐ後継者候補として最も先に頭角を現したのは、文顯進[5]であった。長男の文孝進は悲劇的な家庭事件の中心にあり、文興進は交通事故で他界していたため、公式的な肩書で活動する前から自他が公認する統一教会の後継者は三男の文顯進であった。

 

彼は1998719日に30歳で世界平和統一家庭連合の世界副会長になることで、統一教会の公職を始めた[6]。文顯進の世界平和統一家庭連合副会長就任式に招待された人物とその規模を通じて、創教者がその行事にどれほど精魂を込めていたかが分かる。特に長男・文孝進の祝賀公演は意味するところが大きかった[7]1993年頃から「子女摂理時代」を闡明した創教者は自分の年齡を考慮したであろうし、統一教会の第一線で成長した自分の子女を立てなければならないという必要性を感じたはずである。

 

この当時、統一教会の誰も創教者を引き継ぐ指導者としての文顯進を疑わうものはいなかった。指導者としての文顯進の条件は充分であったからである。内的には血統が復帰された真の家庭の子女であり、外的には学歴と外貌、優れた大衆演説能力など、統一教会指導者としての全ての資質を備えていたと見ることができる。甚だしくは当時、世界平和統一家庭連合の世界会長であった郭錠煥は公開の席上で、文顯進に向かって敬拝を捧げた。当時の統一教会の信仰者たちは、一部を除いてこのような場面を拒否感なく信仰的に受容していた。

 

創教者が文顯進を統一教会の第一線に立てたという事実は、幾つかの観点から意味がある。第一に、当時80歳を目前に控えた創教者の年齡を考慮すると、文顯進の登場は統一教会の後継構図に対する本格的な論議と競争が始まったことを意味している。1980年代中盤から二世時代を強調し[8]、創教者の直系子女の宗教的価値が優れていることを教示してきたため[9]、それまで統一教会の第一線の全ての人的物的資源を主管していた第一世代は文顯進の登場を危機として感じていた可能性が大きい。文顯進の性格が創教者の性格と最も似ているし、当時55歳に過ぎなかった創教者の妻である韓鶴子が既に「第ニ代教主として準備されていた[10]からである。創教者他界後はお母様が責任を負わなければならない[11]」という言質を受けていたことなどは、予断を許さない葛藤の火種であった。

 


[1] Willson, B.R., "Factors in the Failure of the New Religious Movements," The Future of New Religious Movements, Macon Georgia: Mercer University Press, 1987, p.30.

 

[2] 代表的な例として、大巡真理会の紛糾を挙げることができる。大巡真理会の朴漢慶都典は、自分の健康が悪化すると、1995815日に化天(他界を意味する)に備えて新たに教団の組織体系を形成したが、既存の宗務院長であったキョン・ソッキュを解任し、教団内の最大方面の一つである天安方面の受任宣監・李ユジョンを驪州本部道場宗務院長に任命し、李ユジョン宗務院長に教団の誠金管理など全ての資金管理を任せた。結局、その翌年の1996123日に都典が他界すると、李ユジョン宗務院長は約36ヵ月にわたり教団の代表者として職務を遂行した。その後、1999716日未明にチョン・デジンやユン・ウンドが中心になった反対勢力が驪州本部道場を占拠し、李ユジョン宗務院長など宗務院関係者を追放することで教団の紛糾は極に達した。肉身永生を主張した朴泰善の伝道館と曺熙星の勝利祭壇なども同様のケースと言える。

 

[3] 円仏教の場合がこれに属する。コ・シヨン,「円仏教の組織的特性」,『円仏教思想と宗教文化』第55,2013.3.1-37頁参照.円仏教は仏法研究会として始められた宗教であり、創教初期から「仏法研究会規約」を制定し、規約に従って宗教を運用した。創教者を総裁から宗法師と呼称し、任期を定めて法統で選挙を通じて後継者を選出した。;金剛大道の宗教的伝統は創教者の長子に継承される血統承継や承継の原則を明文化して教理化したために、創教者の他界後に後継者承継と関連した論難はなかった。「孔子は弟子に道を伝えたが、私は子息に道統を伝える」金剛大道総本院,『聖訓通告』第1,1956,12.

 

[4] Nansook Hong, In the Shadow of the Moons, Little, Brown & Company,1998.

 

[5] 「お父様は、顯進様が息子の中で人物的に最も優れ、先天的なリーダーシップを持って生まれたと語られたことがあった。このような顯進様を36家庭の中でヤコブ家庭を代表する郭錠煥会長の次女である郭全淑様との聖婚を、1987331日に結んで下さったことも特別な意味があった。(2012年に2人は聖婚25周年の銀婚式を迎え、9名の子女を設けている)顯進様は1988917日に東西冷戦の和合を象徴する重大の摂理的行事であった第24回ソウル五輪大会に大韓民国乗馬国家代表選手として出場し、1992年にも再度オリンピックに出場した。彼は米国の名門であるコロンビア大学で史学を専攻し、199864日にはハーバード大学MBA16ヵ月で優秀な成績で卒業した」(K 氏の証言)

 

[6] 1998719日に創教者が三男・文顯進を世界平和統一家庭連合世界副会長に任命した出来事は、創教者のカリスマを三男に伝授しようとした試みとして解釈できる。当時、創教者の年齡は78歳だった。創教者の夫人であり真のお母様である韓鶴子を「第2代教主として準備する(『み言葉選集』258,139.)(創教者)他界後はお母様が責任を負わなければならない(『み言葉選集』318,260.)」などの言及があったとしても、韓鶴子は真の父母当事者なので創教者のカリスマが伝授される必要がなく、当時の状況は創教者が文顯進を立てた充分な理由があった。

 

[7] 就任式は宗教界、学界、芸術界など各界から400人余りが参加した中で、1998719日午前11時に米国ニューヨークのマンハッタンセンターで挙行された。創教者は「今日は神様が願った日」と喜び、「顯進が私より千倍万倍優れることを願う。神様の願いがあったとすれば、こういう日があることをどれほど待ち焦がれたかを思う時、私の心から深い感謝を天の前に捧げます。…三代を見ることができなかったことが堕落であり、歴史を再び起こす為のものが救援摂理であり、復帰摂理の完成であることを考える時、この三代を中心とした天の公的な責任を任命するということは天宙史的な事件である。このように思います」と言いながら、文顯進の就任を祝賀した。文顯進は就任の辞で、「真の父母様が迫害と苦難を乗り越えて神様の創造理想である地上天国の基盤を築いた勝利的土台を継承し、平和世界建設の先頭に立つ」と抱負を明らかにした。特異なことに当日、創教者の長男である文孝進が「Love Me Tender」を歌って弟の就任を祝賀した。世界基督教統一神霊協会,『統一世界』1998.8,Vol.330,198-199.

 

[8]『み言葉選集』115,231.1981.11.22.; 131,332.1984.5.19.; 162,316.1987.4.17.

 

[9]『み言葉選集』411,132.2003.7.9.「先生の息子娘、真の父母の息子娘は地獄にいても、どこに行っても、いつでも宮殿に連れて入って行くことができる。先生の直系の息子娘はサタンがどんなに誘惑しても、勝利時代においてサタンが除去できる、防御できる何の条件もない」

 

[10]『み言葉選集』258,139.

 

[11]『み言葉選集』318,260.


 

第二に文顯進の登場は、創教者の強力な宗教的能力を基盤とするカリスマが堅固であったとしても、文顯進の合理的なカリスマに承継され、統一教会が再強化される機会であった。1954年に統一教会を創立して以来、創教者は力強いカリスマによって組織を率い、ひたすら地上天国建設の為に全力投球してきた。前を走っていく創教者に従う統一教会人は、そのカリスマを全面的に信じ頼りながら50年間従って来た。しかし地上天国を目標とする創教者の宗教的約束は、何度も遅れ延長された。これは創教者の預言失敗とも理解することができた。その度毎に信仰者の負担は増え、宗教的信頼は半減した。

 

一般的に、力強いカリスマの新宗教創教者の後に登場するリーダーシップが合理性とは無関係なまま、専ら力強いカリスマにだけ依存する場合、組織は衰退する可能性が大きい。その理由は、持続するカリスマによる心理的ストレスを信仰者が耐えるのが容易ではないからである。たとえ創教者が切迫した末世を先立てる終末論的主張をしたことがなくても、いわゆる「摂理的目標」は必ず成し遂げなければならない信仰者の責任だった。したがって、創教者が提示する摂理的目標に相当なストレスを受けてきたのは事実である。ところが、文顯進の登場によって、彼の成長背景と学歴など、彼の能力は、父とは違い天の啓示にだけ依存しない合理的かつ理性的なものであるだろうという期待を呼び起こした。

 

第三に、文顯進の登場は、統一教会が再び復興する機会であった。外的な華麗さと実績にも関わらず、統一教会は内外において多くの矛盾と問題を抱えていた。統一教会が処している環境は、宗教的信念と信頼だけでは克服することができなかった。19987月当時の韓国は、IMFの救済金融がなければ国家破産になる状況であり、統一教会関連の諸企業は破産直前であった[12]。専ら日本から入って来る献金に依存して全く突破口を見出すことができずにいた。忠誠心と信仰だけで団結した第一世代の能力だけでは限界な状況であった。米国の最高学府のハーバード大MBAを出た文顯進は少なくともその第一世代とは違うはずだという期待と、統一教会を再び復興させてくれるはずだという希望を呼び起こした。それほど統一教会の事情は切迫していた。

 

19988月、文顯進は最初の活動として韓国と日本の統一教会二世指導者をアラスカのコディアックに呼び集めて40日修練会を主管した。統一教会祝福家庭の二世の中から12人が選抜され、文顯進と40日間、同苦同楽したという。この修練会は、彼が創教者の後を引き継ぎ、指導者として立つことができる基盤を築く初の試みであったと見られる。非公式で[13]開催されたために修練会に参加できなかった人々の疎外感も多少あったようである[14]。これが文顯進に対する否定的な世論の発端になったのかも知れない。

 

後継者としての文顯進の特徴は、彼のリーダーシップにおいて一番先に確認される。文顯進のリーダーシップは、創教者と内外共に最もよく似ている。父のカリスマに似て多少独善的な面もあるが、彼が合理的思考と判断を重視する米国の最高エリート教育を受けたという事実は、彼のリーダーシップとカリスマは父親のそれとは違うはずだという推測を可能にした。また、現在の統一教会の状況に対する彼の態度と原則は、彼のリーダーシップが合理的だという事実を示している。文國進と文亨進が統一教会を離脱して韓鶴子を非難しているのと違い、統一教会と真の家庭の宗教的価値を軽視しない文顯進の態度は、統一教会分裂後の状況を肯定的に予測できる端緒である[15]

 

外貌から見ても、文顯進は父親である創教者に最もよく似ている。ある元老の言葉[16]のように、彼は外貌だけではなく父親の性格にも最もよく似ている。また、彼は大衆演説で優れた能力を見せている。彼の身振りと話法から、彼が米国の最高教育を受けた専門家であることが容易に分かる。それだけでなく、統一教会の公式的な職位で行った彼の多くの演説と説教は、創教者が主唱した統一教会の復帰摂理の時代的アイデンティティとほぼ一致しており、一貫性があると評価することができる。統一教会人もやはり、後継者論争の前まで信仰的な混乱をすることなく文顯進の主張を受容できたのも、彼の歩みが統一教会人が理解している摂理の進展過程と異なっていなかったからであった。

 

彼が主張する統一教会の核心アイデンティティは、「One Family Under God、神様の下の一家族」という標語に集約される。この標語は、統一教会全体の伝統の核心価値を圧縮する言葉として評価できるが、「神様を父母として侍る一つの血縁関係の大家族世界を志向する」という意味である。この標語を通じて、世界基督教統一神霊協会時代から世界平和統一家庭連合時代[17]を主唱した創教者の摂理認識をそのまま相続しようとする文顯進の意図を読み取ることができ、宗教という範疇の中で絶対者を崇拝の対象として閉じ込めてきた宗教(統一教会)の限界を超越しようとする彼の志向性を理解することができる。特に彼の活動は、創教者が成そうとした後天時代、即ち「神様の子女として神様を父母として侍り真の愛で為に生きる時代」に向けられている。

 


[12] 199811月に統一教会の象徴的聖地であるヨイド敷地根抵当に任意競売手続きが開始され、199812月に統一グループは破綻した。

 

[13] 19988月以後、『統一世界』にはこの修練会に関連した記事が全く出ていない。

 

[14] この修練会に参加することができずに見守っていた祝福家庭二世子女 K氏の証言。2016.4.29.

 

[15] 文亨進と文國進、そして韓鶴子の反文顯進勢力が文顯進に対して露骨な非難を主にしているが、文顯進は自分のアイデンティティを明らかにしながら、母と二人の弟に対する非難よりも統一教会のアイデンティティと統一教会指導部に対する批判に焦点を当てている。

 

[16] 20135月中頃に筆者が出会った統一教会を離脱した36家庭L氏の言及.

 

 

[17] 199748日、第38回真の父母の日の翌日の世界指導者会議で、創教者は「世界基督教統一神霊協会」の看板を降ろして「世界平和統一家庭連合」の名称を使うように宣布し、410日から公式施行するように命じた。


 

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コメント

1. お父様に最もよく似た人

 良い事書かれていますね。
 大事だと思ったところを、そのまま引用します。
 長くなってしまいました。

〇以下引用
 文顯進の世界平和統一家庭連合副会長就任式に招待された人物とその規模を通じて、創教者がその行事にどれほど精魂を込めていたかが分かる。
 創教者は「今日は神様が願った日」と喜び、「顯進が私より千倍万倍優れることを願う。神様の願いがあったとすれば、こういう日があることをどれほど待ち焦がれたかを思う時、私の心から深い感謝を天の前に捧げます。…三代を見ることができなかったことが堕落であり、歴史を再び起こす為のものが救援摂理であり、復帰摂理の完成であることを考える時、この三代を中心とした天の公的な責任を任命するということは天宙史的な事件である。このように思います」と言いながら、文顯進の就任を祝賀した。


 文顯進のリーダーシップは、創教者と内外共に最もよく似ている。
 現在の統一教会の状況に対する彼の態度と原則は、彼のリーダーシップが合理的だという事実を示している。
 文國進と文亨進が統一教会を離脱して韓鶴子を非難しているのと違い、統一教会と真の家庭の宗教的価値を軽視しない文顯進の態度は、統一教会分裂後の状況を肯定的に予測できる端緒である。
 統一教会の公式的な職位で行った彼の多くの演説と説教は、創教者が主唱した統一教会の復帰摂理の時代的アイデンティティとほぼ一致しており、一貫性があると評価することができる。
 彼が主張する統一教会の核心アイデンティティは、「One Family Under God、神様の下の一家族」という標語に集約される。
 宗教という範疇の中で絶対者を崇拝の対象として閉じ込めてきた宗教(統一教会)の限界を超越しようとする彼の志向性を理解することができる。

〇引用終わり

 後継者の就任式は、このように喜びをもって大々的に行うもので、何かの式典のついでに仕方なくやるようなものではないでしょう。

プロフィール

HN:
JUN
性別:
女性
自己紹介:
「統一教の分裂」を読んで衝撃を受けた6500双の在韓日本婦人です。一人でも多くの日本人に読んで欲しいと思い、翻訳してブログに発表していくことにしました。

「統一教の分裂」目次

序文
1.特異な現象/1
2.統一教のアイデンティティ形成/5
  1)血統復帰の神話/7
  2)教理の形成:原理原本/11
  3)組織、教理、儀礼の体系化/14
  4)血統復帰儀礼の原型:創教者の聖婚式、子羊の宴/20
  5)血統復帰儀礼の拡張:統一教会信者の祝福結婚式/24
  6)祝福結婚式の過程と構造/28
  7)統一教会信者の生活と性的アイデンティティ/32
3.アイデンティティの大衆化/37
  1)血統復帰の拡張/37
  2)血統復帰儀礼の日常化:衆生式、復活式、永生式を通じた血統復帰/38
4.宗教を超えたアイデンティティ/43
  1)世界平和統一家庭連合の登場/43
  2)信念体系の確定:<8代教材教本と究極の真理/49
  3)創教者の使命完遂と人類解放日の宣布:基元節宣布/51
5. 創教者のカリスマ伝授の試みと反発/57
  1)文顕進の登場:カリスマ伝授の初の試み/58
  2)1世代の反発:世界基督教統一神霊協会の分裂開始/68
  3)文国進の登場と分裂の可視化/84
  4)文亨進の登場とアイデンティティの歪曲/97
6.カリスマ伝授の失敗:文顕進の追放過程/107
7.統一教の極限分裂とカリスマの没落/155
  1)分裂の内幕:2009年4月~2010年6月/156
  2)罠にかかった文顕進/165
  3)創教者の宣言文とカリスマの没落/167
  4)分裂の内幕:2010.6月~2012.8月/179
8.統一教の創教者が他界する/205
9.韓鶴子の変心/217
  1)教理の変更/217
   ①『天聖経』変更/219
   ②<家庭盟誓>変更/222
   ③『文鮮明先生御言葉集』内容削除した後、再配布/225
   2)文国進と文亨進の追放/230
10.韓鶴子の神格化の試み:神様の婦人から独生女へ/239
  1)韓鶴子の不順従/245
  2)神格化の最初の作業:神様婦人論/252
  3)神格化の二番目の作業:独生女論/262
  4)独生女論の教理化:『真の父母経』/274
  5)韓鶴子の現状分析(2012.9~現在)/277
   ①韓鶴子の自意識の変化/278
   ②韓鶴子のカリスマ/282
   ③韓鶴子の関心/283
  6)韓鶴子の現状の小結論/286
11.文亨進の最近の現状/291
  1)文亨進の説教/292
  2)文亨進の自意識/296
  3)創教者 崇拝/301
  4)韓鶴子への公開非難/303
12.文顕進の最近の現状/311
結び/317
参考文献/325
エピローグ/341