統一教会に一体何が起こっているのか? 著者は、統一教会分裂の現象を長年に亘って観察し、歴史的研究方法によって研究してきた。この本は、膨大な統一教会の一次資料に基づき、統一教会分裂の原因から過程、結果を詳細に記述し、統一教会の未来を見ている。
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6章 カリスマ伝授の失敗: 文顯進追放過程-6<文亨進は最後まで創教者の指示を拒否、創教者の権威は崩壊していた>
2008.9.8.モンゴル国際指導者会議(ILC)開催
モンゴル平和大使館の朝の訓読会で平和メッセージ第13章を訓読された後、金炳和会長の米国GPFに関する報告と池喜善会長のケニアGPF大会に関する報告をする時間があった。午前9時、バルクヤク・ジャミャンドル国防長官の迎接によって国賓を迎える伝統儀式に参加、ジンギスカン銅像の前で黙祷し献花した。
午前10時、モンゴル国際指導者会議開幕式の前にホセ・デベネシア前国会議長及びメッ・セモン前下院議員と対話を交わし、モンゴル副首相が一行を迎接した。その後、モンゴル国際指導者会議(ILC)開幕式で語った。昼食後、平和大使であるエンクサイアン前首相と会談。午後3時、モンゴル大統領執務室で全淑様と共にエンフバヤル・ナムバル大統領と会談した。また、平和大使館でエクベクドルジ前首相と会談した。
2008.9.9. 文顯進、グローバル・ピース・フェスティバル(GPF)モンゴル大会
9月9日、モンゴルの首都ウランバートル(Ulaanbaator)のスクバタル(Sukhbaatar)広場で12万人余りが参加して、2008年モンゴルGlobal Peace Festival(GPF)が開催された。「モンゴルの希望(Mongolian Dream)」プロジェクトの一つとして開催された今回の行事は、オチルバト・モンゴル初代大統領とエンフボルド副首相をはじめとする300人の政治及び宗教指導者と、市民社会団体代表を含めた12万人余りが集まった。この日の集会で文顯進は、基調演説を通じて「800年前にジンギスカンのモンゴル帝国が世界歴史上最も広い大陸を占領することができた秘訣は正に、『夢』にあった。皆さんの先祖が人類を一つの天の下に世界を統合する為にユーラシア大陸を行軍したように、今日私たちも世界を平和と繁栄の道に導く為に、『神様の下の人類一家族』という万民共通の夢とビジョンの主人となって勇ましく世界に出て行こう」と促した。また「過去のモンゴル帝国は剣によって世界を統合したが、これからは人種、民族、国家、宗教、文化を超越して、為に生きる真の愛の文化を通じて平和と繁栄の人類一家族社会を建設しよう」と強調した。
文顯進主管のモンゴル大会の規模と内容は、文顯進の能力を再び見せつけた。既存の統一教会の行事が統一教会という宗派的限界の中で莫大な資金力を先立たせて行った行事であるとすれば、文顯進のGPF行事は、創教者のアイデンティティが結実される行事であった。これまで、名もなく苦労してきた数多くの統一教会人の犠牲が光を見る行事であった。参加した人々は文顯進の演説に熱狂したという。誰が見ても文顯進のGPF行事は大成功であった。文顯進はこの行事を通じて、基元節と実体天一国に対しさらに確信するようになったであろう。創教者もこの行事成功の報告を受けて非常に喜んだ。
モンゴル大会(2008モンゴルGPF)に対し全体はどうですか。子供から青少年から中高校生から大学生から機関長から共産世界にいる全ての分派もその日に抜け出して、私たちに隷属されて一致圏を成したのです。12万人が来ました。12数です。12万人が集まったということは驚くべきな事実です。歴史に一つしかない蒙古班解放圏を成して絶対信仰•絶対愛•絶対服従圏に入り、私たちの思想の一体一色を中心として新しい国の形態が出発するのです[1]。
2008.9.9.
モルゴル大会がまさに行われている最中のその日、創教者は意味深長な発言をした。統一教会が内外が一つになっていないと言及したのである。内とは「家庭」を指し、外とは「統一教会組織」を指していることは容易く理解できる。創教者が誰から何を聞いたのか正確には分からないが、創教者は韓鶴子をとがめていた。
統一教会は内外が一つになっていません。お母さん一人がどうしたわけか、そのことを残念に思っていません。そうであってはならないというのです。お母さん自身、今、何か先生に対し、少女の時に何も知らないことを掴まえて利用したと考えているのです。そんな考えを未だに持っています。言うと、目をこのように大きく開けます。自分の目が上に上がろうとします。[2]
この言及により韓鶴子が17歳に創教者に会い、血統復帰神話とも言うべき聖婚式を行った事件を天宙史的価値ではなく創教者に利用されたものと理解していたことが分かる。誰かが創教者の血統を否定したことに対して叱責したのは、韓鶴子と創教者が違う観点で一緒に生きていたことを表わしている。聖婚式を否定したのは統一教会の神話と儀礼の否定である。そして、統一教会信念体系の核心を否定するものと言える。2008年9月9日当時、韓鶴子は創教者と違う考えで別の道に進んでいたものと見られる。文亨進が韓鶴子に向かい、父に対する「恨」を捨てよと語った言葉[3]からも正に創教者と違う道に進んでいた韓鶴子の立場が確認できる。
2008.9.14.(秋夕) 文顯進、創教者に米国総会長は文顯進であるという確答を受ける[4]。
創教者は2008年7月29日に、金炳和大陸会長夫妻に対して、米国総会長は文顯進であるという事実を確認してやったにも関わらず、文仁進を米国総会長に任命し人事公文が発送された。それで文顯進は2008年9月14日に創教者に再び問い合わせた。そこで、米国総会長は文顯進であり、文仁進は祝司長(牧師)であるという確答を受け、その内容は文亨進に通知された。しかし、文亨進は最後まで創教者の指示を拒否した。創教者の権威は崩壊していた。これを契機に文顯進に対する非難と讒訴はさらに深刻化し、ついには創教者と文顯進は会うのが難しくなるに至った。創教者は2009年3月8日のいわゆる「束草霊界メッセージ事件」の時まで、米国総会長が文顯進であると思っていたという。
2009.9.30. 文亨進、各国の家庭連合理事会変更は世界会長の決裁を受けよという公文を発送[5]
2008.10.17~19. 2008年マレーシアGPF公式発足行事開始
陸海空軍と警察合同儀仗隊を査閲した文顯進とタンスリジャレアイスマイル・マレーシアGPF組織委員長が「2008マレーシアGPF」の公式発足行事において、「国立殉国英雄記念塔」献花儀式を終えて儀仗隊一行と一緒に記念撮影をした。マレーシアでこのような儀典行事が非政府民間指導者に提供されたのは今回が初めてだという。マレーシアGPFは主要政府部署と公共機関、民間社会団体などが全面的に協力する国家的な行事として準備されてきた。
2008.10.18.マレーシア国際指導者会議(ILC)開催[6]
午前9時、文顯進はマレーシアのプトラジャヤ・マリオットホテルでの国際指導者会議開幕式主題講演で、「One Family under God」の完全な主人として立ち上がることと、自分はマハティール前首相が根本の教えに帰ろうと語った言葉に全面的に共感するとし、「神様をどのように表現するとしても、私たちはその方を同一の父として侍り、皆が神様の息子娘に戻らなければならない」と力説した。
講演後、平和増進の為に寄与した功労としてUPFが準備した平和賞と記念品をマハティール前首相に授与する特別な時間を持った。全体記念写真を撮った後、マハティール首相は別のリセプションルームに移動して、再び1時間ほど予定にもなかった深い談話を交わした。午後にはマレーシア・クアラルムプールGlobal Family Carnivalの一環として進められたSFPボランティア活動の現場を訪問し、演説中には聴衆席に下りてイスラームの女学生やヒンズー教の女学生など互いに異なる宗教的背景を持つ参加者らを一人一人立たせて、「あなたがこれから成そうとする最大の夢は何であり、この場に集まった私たちは果して誰なのか」を質問した。彼らは自信ある声で「One Family under God」と叫んだ。また、クアラルムプールの晩餐会では、ネパールから来た現職国会議員を招待し、政治家らに政党を超越してこのビジョンで一つになろうと語った。
2008.10.20.文顯進、マレーシアのプトラジャヤ・マリオットホテルで「2008マレーシアGPF」行事の成功を祝賀した。
モンゴル大会に続いてマレーシアGPF行事でも文顯進の能力が確実に現われた。GPFは統一教会を代表する家庭連合やUPFなどの団体にはるかに及ばない非主流として始まったが、文顯進特有の推進力と外交力、力強いリーダーシップで大きな成果を収めたと見ることができる。2008年10月当時、文顯進の地位は反対勢力による脅威に晒されていたが、それをものともせず、2013年1月13日の基元節に向かって邁進していたものと見える。創教者に文顯進のGPF行事をどのように報告したのか、そしてどのように妨害したかは間もなく露見されたが、創教者はGPF行事に対して大きな期待をしたようである。
2008年10月21日、真の父母様にマレーシアGPF勝利報告を申し上げた。文総裁は「環太平洋時代にイスラームの本堂であるマレーシアに影響を与えたということは驚きべきことであり、これからGPFの台風が吹かなければならない。今回の大会に霊界と先祖まで協助するよう祈祷した」と語られ、「これからは興奮を鎮め、全ての福を一つもこぼすことなく風呂敷にその種をよく包んで世界に蒔いてやらなければならない」と語られた。
10月24日、真の父母様が高城天情苑に泊っておられた時、マレーシアGPF行事を終えて来た文顯進会長を迎えた。真のお父様は「顯進がイスラームの門を見事に開いた」と喜ばれ、午餐を共にされるなどの日程を持たれた。日本GPFを終えて来た時はパンフレットに「顯進王」という称号を書いて下さったりした[7]。
[1]『み言葉選集』597巻,230-231頁.2008.9.12.
[2]『み言葉選集』597巻,163頁.2008.9.9.
[3] 「お母様に『お母さん、もうその恨をさっさと吹き飛ばして下さい。さもなければ、その恨がお母さんの首を締めるのではないか心配です』と申し上げ続けました。事実、韓国の多くの食口はこのことを知っています。韓国の食口は真のお母様の一連の行動を「恨み晴らし」と表現しています。食口は「真のお母様は真のお父様に絡んだ恨をこうして晴らしている」と言います。しかし、これは神様の国に行く道ではありません」 2015.3.29.文亨進の説教:https: //www.youtube.com/watch? v=pz3j5-L7G0U
[4] 2008.09.14.秋夕、創教者は京畿道坡州原殿の文孝進の墓地で訓読した。文顯進は韓国の歌を歌い、参加した指導者が踊ったという。
[5] パラグアイ、ブラジルの土地問題解決の為に、UCI主導で現地理事会が変更されたことが発端。
[6] 『統一世界』2008.11,Vol.449,88-93頁.
[7] 『史報』第188号(2009年春)80-81頁.