統一教会に一体何が起こっているのか? 著者は、統一教会分裂の現象を長年に亘って観察し、歴史的研究方法によって研究してきた。この本は、膨大な統一教会の一次資料に基づき、統一教会分裂の原因から過程、結果を詳細に記述し、統一教会の未来を見ている。
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文中に「真の家庭に対する文顯進のこのような理解は、統一教会人が学習してきた伝統と特に異なっていないように見られ」と書かれています。私も同感ですが、なぜこのような子女様が摂理の最前線に立っていないのか疑問ですね。(JUN)
1) 文顯進の登場: カリスマ伝授の初の試み-2
文顯進は、統一教会の核心アイデンティティに対する見解を表明することによって、統一教会の伝統に対する自分のアイデンティティを明らかにした。第一に彼は、復帰摂理の中心が創教者ではなく、創造主である神様であることを主張する[18]。彼の認識は、復帰された人間と創造主である神様との関係を明らかにすることによって、創教者と韓鶴子を神格化しようとする既存の統一教会神学を批判する。統一教会という軛の中で創教者の価値を偶像にしてしまおうとしてきた統一教会の試みに対する批判である。したがって、彼において崇拝しなければならない対象は「創造主・神様」であり、ひいては神様に対する崇拝さえも宗教的儀礼の形式的崇拝ではなく、神様の子女としての生き方を通じて真の家庭を完成し、結局は神様の理想世界を成し遂げる為の生き方が彼にとっては最高の儀礼であった。
第二に文顯進は、(創教者が生涯をかけて克服しようとした)宗教的救援論の限界の中に創教者を閉じ込めてしまう統一教会の宗派的教理とアイデンティティを批判した。統一教会が創教者を創造主・神様と一体を成した存在、神様の実体として崇拝してきたのと違い、文顯進は創教者を創造主・神様の理想を実現する為に一生を捧げた「息子」として認識し、創教者をこうした次元のメシヤとして定義している[19]。文顯進の宗教観は、創教者の膨大な「み言葉」に従って「四位基台」を完成した 「二世の真の子女」であり「三大祝福」を完成しようとする統一教会人として経験し通察した結果に見える。彼の宗教観は、祝福を受けて統一教会の原理を学習した普遍的な統一教会人の宗教観とも通じる。文顯進は、統一教会創教者の直系子女として普通の人が経験できない特殊な立場を体験したという。また米国国内の統一教会人として人種的、宗教的偏見を経験し、創教者周辺で起きた口にも出せない事件を目撃することによって、父親の理想と限界を同時に実感したものと見える[20]。
第三に文顯進は「真の家庭」の価値と役割を明らかにしている。真の家庭を統一教会創教者の直系の家庭と定義しながらも、「拡大された真の家庭」[21]という用語を使って真の家庭の意味を拡大している。「神様→真の父母→真の家庭→拡大された真の家庭」に連結される絶対者の血統の拡大過程において創教者の真の家庭(直系家庭)の責任を強調した。彼にとって「真の家庭」は、完成すべき復帰摂理の1次目的であり、真の父母出現の理由であり、人類全体が志向すべき神様の第一の理想である。したがって、真の家庭は人類を代表する家庭であると同時に人類のモデル的家庭であり、復帰摂理の為に全ての犠牲を甘受しなければならず、神様の理想実現の為の実体的生き方を生きなければならないと彼は主張する[22]。
第四に文顯進は、自分の父である創教者の使命を特定の宗教や教派の創設ではなく、「真の父母と真の家庭の実体的な基盤を通じて、人類を天の血統に転換させることによって人類救援を実現すること」[23]と規定する。また、自分の父は「神様を中心とした家庭を立てて、この地に地上天国を建設する為に努力してきた」[24]と言及しながら、「父は神様の恨を解怨してさし上げることができる鍵が即ち、神様を中心とした理想家庭、即ち真の家庭の建設にあるという事実を知って人間最初の家庭を復帰し、人類が再び『神様』の懐に留まれるようにしようと、過去60年余りの歳月を休むことなく働いてきたために、自分の使命はその父の願いを実現すること」[25]であることを明らかにした。
特異な事実は、文顯進の血統認識にある。彼は創教者の摂理認識と共に、統一教会(宗教)以後の家庭連合は超宗教時代を志向しなければならないと主張しながらも、「神様」の血統に最初に復帰された創教者の直系家庭、即ち真の家庭の血統的概念を統一教会の教理的次元で認識している[26]。文顯進は自分を神様の血統が復帰された人類最初の真の家庭の一員として自分の血統を絶対的次元で認識しており[27]、祝福家庭を真の家庭に「接木されて神様の血統」に復帰された拡大された真の家庭であり、養子養女の家庭であると認識する[28]。彼は普遍的価値と為に生きる生き方を通じて超宗教的平和理想世界[29]を志向しているが、「神様」「真の家庭」「血統」「地上天国」などのキーワードは、彼が決して放棄できない価値[30]であると考えられる。
血統復帰を通した地上天国実現の一つの方案として創教者によって実践された、いわゆる「街頭祝福」の価値に対して創教者と同一の認識をしているという事実も、彼の宗教的アイデンティティを理解するのに重要な根拠となる[31]。人間始祖が喪失した神様の血統への復帰は、「神様」と「真の父母」の贈り物であり「祝福」であるという彼の主張は、創教者のアイデンティティと一致する部分である。
現在、文顯進は、前に言及した通り、「神様→真の父母→真の家庭→拡大された真の家庭(祝福家庭)」と繋がる血統復帰の価値を固守しており、超宗教的な奉仕と理想家庭実現の為の平和理想世界実現運動を「One Family Under God」の名前で展開している。ところが、文顯進も真の家庭(創教者の直系家庭)の血統が全人類に伝授される(何らかの)儀礼としての手段が必要だったものと見られる。それ故か、2015年8月に米国シアトルで祝福結婚式を主管したという。推測すると彼は、創教者が今まで示してきた血統復帰の為の伝統や儀礼を、普遍的で世界化された儀礼にデザインし直して引き継いでいくように見られる[32]。
真の家庭に対する文顯進のこのような理解は、統一教会人が学習してきた伝統と特に異なっていないように見られ、統一教会だけの伝統や教理ではなく、特定宗教を超越した普遍的価値の「神様の下の一家族」という標語と相通ずる。
真の家庭に対する彼の認識は、真の家庭構成員がそれまで享受してきた特権的生き方に対する批判的態度において相当に改革的である[33]。統一教会の内外で真の家庭の一部構成員が示してきた実際の生き方は、創教者が宗教的生き方を通じて示してきた統一教会の伝統とはかけ離れた場合が往々にしてあった。それまで統一教会の伝統からは理解できない事件に対して、創教者は弁明に近い宗教的解釈をしなければならない場合もあった。これは反統一教会集団の批判から統一教会が抜け出せない多くの理由の一つであった[34]。真の家庭と結び付いた特権意識は、真の家庭構成員の血統的価値が一般の統一教会の祝福家庭とは違って特別であり、崇拝され信じなければならない対象として認識されてきた結果であった。
自分の血統に対する差別的特権意識を除いて文顯進が今まで示してきた態度は、他の真の家庭の構成員の態度と確かに違った面がある。彼は「真の父母」を神様の創造目的である真の家庭を完成し、「人類一家族平和理想世界」を実現する神様の息子として規定しているだけで、超越的な崇拝対象や統一教会人たちの上に君臨し支配する特権的存在とはみなしていないようである。このような態度はいわゆる「ロイヤルファミリー」と呼ばれる真の家庭と血縁的に連結された特権層、そして職業的に彼らと近くにいる統一教会高位聖職者グループが文顯進を除去しようとした一つの理由でもある。特に彼らは数十年にわたり統一教会高位職を独占してきた職業的宗教専門家グループであるが、真の家庭構成員が享受してきた特権に寄生して生存してきた側面がある。
1998年7月、世界平和統一家庭連合世界副会長に任命された後の文顯進の公的活動は、相当な実績を収めたものと見える。彼の改革的な態度と人間的な側面、優れた大衆講演の能力、対人関係の専門性、多くの二世統一教会人が支持した事実は、将来の統一教会後継者としての立地をさらに堅固たものとした。
[18] 2011.12.1.(ソウル・グランドヒルトンホテル)韓国 GPC 終了後の文顯進の演説.
[19] 2011.12.1.(ソウル・グランドヒルトンホテル)韓国GPC終了後の文顯進の演説.
[20] 文顯進,『心情文化の主人』(ソウル: ワールドカープ,2004), 39頁.
[21] 2009.11.14.に文顯進が創教者に送った書信.
[22] 文顯進,『心情文化の主人』(ソウル: ワールドカープ, 2004), 238頁.
[23] 文顯進,『心情文化の主人』(ソウル: ワールドカープ, 2004), 78頁.
[24] 文顯進,『心情文化の主人』(ソウル: ワールドカープ, 2004), 86頁.
[25] 文顯進,『心情文化の主人』(ソウル: ワールドカープ, 2004), 10-12頁.
[26]「真の家庭が摂理的に重要なのです。真の父母様が真の家庭を成すことができなかったら、人類の中に流れるサタンの血統を断絶させることができなかっただろうし、祝福による接木を通じて人類の為の実体的な救援摂理を成すこともできなかったでしょう。したがって、祝福家庭として皆さんのアイデンティティは神様、真の父母様、そして真の家庭の縦的な軸に連結されることによって始まるのです」『神様の夢の実現』,244頁.
[27] 文顯進,『心情文化の主人』(ソウル: ワールドカープ,2004),44頁.
[28] 2014.1.1.文顯進の言及:「私たち統一家の根は教会ではなく真の家庭です。祝福家庭は養子・養女として真の家庭の拡大された食口です。真の家庭の創造はお父様のみ言葉の主な主題です。真の家庭は神様の理想と実体的み旨を現わす生命の木です。人間が作る如何なる機関もこれを代身できません。真の家庭は私たちの信仰と生の根であり本質です。神様がお創りになりたかった部族、国家、世界は先祖の家庭である真の家庭からです」
[29] GPFの活動は超宗教的な統一教会の復帰摂理完成期の伝統と儀礼の一つの例として評価することができる。GPFは「One Family Under God」の理想実現の為の奉仕活動(為に生きる生)を核心アイデンティティとしており、「God」という宗教的崇拝対象(一般的に見る時)をアイデンティティに含んではいるが、GPFが主管する行事の全儀式(ceremony)は超宗教的であり普遍的価値を志向している。GPFの祝祭(festival)は、一つの価値と目的の為に全人類が互いに交わり同化され一つになることができる儀礼(あるいは儀式)としての可能性を示している。
[30] 文顯進『心情文化の主人』(ソウル: ワールドカープ, 2004),102頁.「お父様は新しい宗教を作る為にこの地に来られたのではありません。…一貫して維持してきた一つの目的は、神様のみ旨を地上に成し遂げることでした。…ワシントンタイムズを創設することではありませんでした。統一教会を創立することではありませんでした。家庭連合を作ることでもなく、カープ組織を作ることでもありませんでした。…神様が人類歴史を通じて復帰しようとしたのは何でしたか。それは真の愛と真の生命、真の血統が顕現する理想家庭でした。…この根はどこにありますか。それは神様と真の父母様と真の家庭を土台としています」
[31] 「文顯進の深夜集会でのみ言葉」,『地球村平和ニュース』2014年2月7日号A2頁.「…祝福は贈り物だと言いました。90年代と2000年以後に私たちは祝福の門を開放しました。ところが多くの指導者が『完全に準備されていない人々に何故このように容易く祝福をしますか』と質問しました。…皆さんが本物の信仰人であり神様と真の父母様に純粋に献身しているのであれば、真っ先にこういう質問を投げ掛けることは有り得ません。私たちが十字架を背負って来たので、他の人も全く同じ十字架を背負うのがよいのですか。…」
[32] ところが、文顯進は様々なジレンマを抱いている。母が率いる家庭連合のアイデンティティ、特に祝福結婚式を含めた血統復帰の伝統と不可避的な葛藤が誘発されるためである。既に家庭連合は、創教者中心のアイデンティティを捨て、韓鶴子中心の新しい宗教運動の為の徹底的な理論作業を進めてきており、組織整備をほぼ終えた状態である。不可避的な葛藤を避けることができる文顯進の解法が何なのか、その帰趨が注目される。
[33] 2008年3月23日に創教者に送った文顯進の書信:「真の家庭はどうですか。祝福家庭を正しい方向に導いているのか、さもなければ摂理の焦点と方向を捉えることができずに互いに混乱をけしかけているのか自問してみなければなりません。私たちは一つの団体を作ろうとしているのか、さもなければ神様の夢を実現しようとしているのかについての問いに正しい答えをすべき時です。…統一運動の中心として祝福中心家庭を率いるべき真の家庭が父母様の業績を継承した相応しい相続者になる為には、まず最初に神様の下の一家族世界を建設する神様の夢を引き継ぎ、その主人とならなければなりません」; 2009年11月4日に創教者に送った文顯進の書信,「今、私を最も苦しめているのは、真の愛を中心として最も原理的であるべき真の家庭をめぐって真実と正義が生きておらず、偽りと非原理的な方式が正統となり、摂理を決定する手段になっているという事実です」
[34] 結局、一部の真の家庭構成員による真の家庭の伝統破壊や逸脱行為、不幸な事故は、創教者の宗教的価値を毀損する結果をもたらし、カリスマ崩壊の一つの原因になっていると筆者は見ている。